2021年に神戸から移住赤秀弘美さん
夢を実現する場所を鳥取市に。無理せず自分らしく。
Profile
単身・50代で移住を決意
2021年 神戸市から鳥取市へIターン
ぶっちゃけ話、聞いてみました! INTERVIEW
赤秀さんはIターンですが、鳥取市にゆかりがあったんですか?
赤秀さん
過去に2回くらい遊びに行ったことがある程度で、鳥取市には縁もゆかりもなく、むしろこっちに来るまで鳥取県のことも大して知らないぐらいでした(笑)
移住をしようと考えた理由を教えてください。
赤秀さん
鳥取で出会った方の多くに、「なんで鳥取に来たの?」って、ほんとによく聞かれます(笑)
海外でなければどこでもいい!という気持ちでした。
移住先でやりたいことというのは?
赤秀さん
私は元々保育士の仕事をしていて保育園にもいたんですけど、児童養護施設でも働いていました。
そこにいるお子さんは高校進学をしなければ15歳で、高校に行ったお子さんは卒業後18歳くらいで施設を出なくてはいけないんですね。
ただでさえ家庭や学校での社会的経験に恵まれなかった子たちばかりなのに、18歳になった途端いきなりボンっと丸裸で社会に投げ出されてしまう。我々も送り出すものの、多くの子は挫けてしまう。結局は自分の思い描く生活はできず、仕事が続かなかったり学校をやめちゃったりする子が多いんです。
できるかわかりませんが、私はその子たちが社会で生きていくための力をつけられる場所を作りたいなと思っているんです。
でも、都市部では場所代だけでもお金がかかってしまう。そこで、地方なら空き家もあるから、そんな場所が作りやすいのではないかと思ったんです。
まずは私自身の生活の基盤を作った上で、次のステップとして、地方の密なネットワークも活用していけたらいいなと考えたんです。
お仕事を通して夢ができ、移住に繋がったんですね。
赤秀さん
そうですね。大きく捉えるとサードスペース的というか、『第三の居場所』を作りたい。家と職場や学校、以外の居場所が必要なんだと思います。
今は核家族化やコロナもあって、子どもたちだけではなく家族単位でも立ち行かないことも多いですよね。そんな中、みんなで助け合える環境を作れたらいいなと。
でも私一人ではできませんから、誰かと協力しあってできたらいいなぁと計画しています。
移住先を鳥取市の鹿野に決めた理由はなんですか?
赤秀さん
2021年の3月末に前職を辞めるまで、移住先の検討も含めて準備をする時間も取れなかったので、とりあえず退職してから全国を転々と移動してご縁がありそうなところに移住しようと考えていました。
でもコロナの影響で、オンラインで物件を内見するぐらいしかできなくて、周辺環境や詳しい情報がわからないという、もやもやした状態が続いてたんです。
それでもいろいろ調べていたら、「若桜(わかさ)」というワードが私の中でひっかかったんです。「これは行ってみないとわからない!」ということでさっそく不動産屋さんに物件を見せてもらったり、若桜の町を歩いてみたりしました。
その散策中に、たまたま写真展をやっているギャラリーが目に入ったので入ってみることにしたんです。
作品を展示されていた写真家の方が、偶然在廊されていたのでお話をしたんです。そのときに「実は物件を見ていたのですが、なかなか見つからなくて…」と思わずこぼしたら、写真家の方が「智頭(ちず)や若桜はいいところだよ」と。そこで移住の話題になったんです。
話ついでに「鹿野もいいところだよ。ここのギャラリーのオーナーが鹿野出身だから興味があれば話を聞いてみたら」とアドバイスをいただいたんです。
ここでついに鹿野が出てくるんですね。
赤秀さん
「鹿野も若桜も知らないところだけど、こうやって勧める方がいるんだからいいところなのだろう」と思い、オーナーさんはカフェも運営されているということだったのでアポ無しでお話を聞きに向かいました。
そこでオーナーさんから、鹿野町の話や移住者さんも多くおられるといったことを教えていただき、さっそく鹿野について調べてみようとネットで検索して「いんしゅう鹿野まちづくり協議会」のサイトを見つけたんです。サイトによると空き家の斡旋もされているようだったので、「実際話を聞いてみないとわからない」と思い、すぐに連絡をしました。
すごい行動力ですね!
赤秀さん
「いんしゅう鹿野まちづくり協議会」の担当者の方に「実はやりたいことがあって物件を探しているんです」と話をしたら、あれよあれよと言う間にいろんな制度や事業を紹介してくださったんです。
鹿野の城下町の風情もとても素敵だし、紹介していただいた空き家も手直しすればなんとか住めそうだなと自分の中の基準をクリアしたので、4月から動き出した移住先探しでしたが、8月には移住できました。
半年もかからず?
赤秀さん
担当者の方からは「今までで最短だった」と(笑)
住むところが決まるまでの数週間、「とにかく住んでみないとわからないな」と思って、鹿野にあるゲストハウスに宿泊して、普段の町の様子も見ました。
全国を回るはずが、いつのまにか鳥取市に移住されることになったんですね
赤秀さん
コロナがなければあちこち見てまわったんですが、コロナ収束を待っていたらいつ動き出せるかわからないと思って(笑)
ここまで行動できるのがすごいですね!
赤秀さん
とにかくやってみようと思って。ダメだったら退きます(笑)
むしろ「これに人生全てかけてます」みたいな意気込みはないんです。それだと怖くてとてもじゃないけどできないですよ。
自分がやってみたいと思ったからやってみるだけで、それで道が拓けたら進んで行けってことだし、できなかったらまた他のことをやればいいってことで今までも生きてきたので。
移住後も養護施設のお仕事をされているのですか?
赤秀さん
今はご縁があって、児童相談所内の一時保護所の非常勤職員として、養護が必要な子達の支援の仕事をしています。
その仕事以外では、今、ネットワークを広げたいのでいろいろなところにガンガン顔を出したりしています。
あと以前にマッサージの免許も取ってたんです。それでマッサージの仕事を一人でしていた時期があったので、こちらでもその技術を生かして、自宅と智頭町でマッサージをしています。ご縁があってそれが人づてに輪が広がっていってます。
移住前と生活スタイルはかなり変わりましたか?
赤秀さん
神戸では祝日や年末も休まずガツガツ働いて、空いた時間に好きなことをしていたんです。だけど、一旦その生活を断ち切ろうと思ったんですね。
今は時間だけはいくらでもある、自分のやりたいことができる状況を作れたので徐々に夢に向かって進めていけたらいいなと。変化といえばそうですね、とにかく時間ができたことです(笑)
実際に生活してみてギャップは感じましたか?
赤秀さん
あまり移住後の生活を具体的にイメージもしていなかったので、そんなにないです(笑)
ギャップとか考えると自分がしんどくなるだけじゃないですか。なんでも自分にピッタリくるわけはないですし。
移住した先のいいところを見つけた方が自分も楽なので、鳥取市にきて良かったことを見るようにしています。
なので「こんなはずじゃなかった!」という発想はないですね。
移住後にはじめられた趣味などはありますか?
赤秀さん
時間ができたのでこの冬は手芸をはじめよう!とミシンを買いました。自分で楽しむためだけですけど。
あとはお菓子づくりですね。たくさん作ってまわりにプレゼントしたり、自分で食べたり。ジャムは前から作っていたんですが、以前よりたくさん作ったりしています。
生活の上で特に不安に思うことは?
赤秀さん
雪はすごく不安でしたよ!鳥取の方に話を聞くんですが、大変だよって脅す割には平気そうなんです。慣れてるって言って。それが信じられなくって。とても不安だったんですけど、確かに実際降ってみると、どうってことないなと思いました(笑)
大雪以外は大したことはなかったですね。雪かきをエクササイズだと思うようにしています。達成感もすごいあります。
移住に関して補助金などの利用は?
赤秀さん
古いお家だったので、まちづくり協議会さんに紹介していただいた、建具の補修に関して半額助成していただけるという制度を利用しました。申請もすべて代行してくださったので、私は支払いだけ。
他の補修などは自分でしました。
まちづくり協議会さんには、地域との間に入っていただき、安心して移住できるためのサポートをたくさんしていただきました。
もしそのサポートがなければいろんなトラブルも生まれたかもしれませんから、本当に助かりました。
今後の直近の目標は?
赤秀さん
無理しない!(笑)
ふわっとしすぎですかね?人生何をしてもマイナスになることはありませんから。ダメだったらやめればいいですし。
移住を考えられている方にメッセージをどうぞ!
赤秀さん
焦らない!(笑)
焦ってもしょうがないですから。
ありがとうございました。