大学院に進学した時、『学生人材バンク』というサークルみたいなものを立ち上げたんですが、それがそのまま仕事になっちゃったって感じです。地域の方と企画して面白いことをして欲しい、という人がたくさんいたんです。
静岡県から移住中川玄洋さん
大学入学を機に鳥取市へ。サークル活動をそのまま仕事に。
余白の多い場所だから出来る、新しい活動。
Profile
子育て世帯
静岡県から鳥取市へIターン
ぶっちゃけ話、聞いてみました! INTERVIEW
ご出身はどちらですか?
中川さん
静岡県出身で、進学をきっかけに鳥取市に来たんです。卒業後に起業してそのまま鳥取にいるという感じですね。Iターンです。
大学進学がきっかけなんですね
中川さん
そうです!1998年に鳥取大学入学なので、鳥取市は超ベテランですね(笑)
今のお住まいはどちらですか?
中川さん
福部町にある妻の実家に住んでいます。
大学在学中から鳥取市に残ろうと考えられていたんですか?
中川さん
大学3年くらいから鳥取の地域の人と繋がりができるコミュニティに参加していたんですが、地域のおっちゃんおばちゃん達と企画やったら面白いって分かったんです。
大学時代の活動がそのままお仕事に繋がったんですね。
中川さん
『学生人材バンク』を立ち上げたときは学生だったこともあり、いずれは後輩に受け継げばいいと思って運営していました。でもこれは受け継いでやるものではない気がしてきたんですね。個々の学生の希望も様々だし、「何かやりたい人」と「何かやりたい地域」を繋ぐって、結構ニッチな仕事だなと分かってきた。これを仕事としてやってみようかな、と思ったのが今の仕事に繋がっています。
行政関係の方が交流の場を企画をしてくれとか、最近だと関係人口とかワーケーションとか。「人と人をどう繋いでいいかわからない」っていうところのコンサルタントを続けて20年ぐらい経ちます。
サークルを立ち上げた時に最初に取り組んだことは?
中川さん
サークルを作れば良いと思ったので、県庁や市役所のほか、いろんなところに行ってチラシ類を集めたり、地域の大人たちが参加しているコミュニティの情報を聞きに行ったりしました。
今みたいにSNSが無い時代だったので、学生の携帯メールアドレスを登録してもらって、そこにアルバイト情報などをひたすら流すような情報発信を地道にやっていました。
現在どんな事業に参加されているのですか?
中川さん
鳥取県全域の仕事では『学生人材バンク』、鳥取市内中心地は『まちのリノベーションカンパニーまるにわ』、砂丘近くの旧福部村というエリアは『福部となりのがっこう』と今は大きく分けています。やっていることは街と人をつなぐことですね。
働き出して人と関わることで、より鳥取への思いが強くなったんですね。
中川さん
『学生人材バンク』でも卒業生がIターンしているパターンが増えてきました。今現在、県内で卒業生Iターンが30人くらいかな?鳥取市だけでも10人くらいいるんじゃないかな。
すごい数ですね!
中川さん
関わった学生たちも、学生時代に地域に関わったのをきっかけに「自分にもできることがあるかも」って思って鳥取市内の企業に就職したりしています。
鳥取市と出身地・静岡県沼津市の大きな違いはなんですか?
中川さん
沼津に住んでいた時は中心市街地で、ひたすら道路と家が続いてるっていう環境で過ごしていました。鳥取市の街中で仕事をしていますが、沼津の街中と鳥取市の街中では雰囲気が違うなと歩きながら思ったりしますね。
今住んでいるのは福部町なんで、ちょっと行ったら田んぼや山があって、近くの畑でイノシシに会ったりするんですね。なので“土が近い”っていうのは非常に感じます!
それから、人と場所の紐づけがしやすいこと。
鳥取で知り合いが増えたので、町を歩いていると、“あそこに行ったらあの人がいる”とイメージしながら歩けます。
この間、2年ぶりに実家に帰ったんです。久しぶりなんで、当然知り合いがいない街を歩いた時、街の風景がただの建物みたいに感じたり淋しそうに感じたりしたんです。
その時に思いました。そこで生活する人と場所が頭の中で紐付いてくると地域の色がちゃんと見えるんだなって。
そういう町のストーリーを伝えられたら、移住された方も楽しいだろうと思います。
鳥取市に来た当時、生活に変化はありましたか?
中川さん
僕は大学在学中に知り合いを増やしていったパターンなのと、みなさんと最初に知り合った時は学生だったので、その印象をひきずっている方がめちゃめちゃ多いんですね。
だから、働き始めた時から「ちゃんと飯食ってるか」みたいな連絡を入れてくださったり「ご飯食べに行くぞ」って言ってもらえることが結構ありました(笑)
そうした面では「助けられていたな」と思います。仲良くなると、鳥取の方はとても親切だと、移住者の方からもよく聞きます。
移住前の鳥取市に対するイメージは?
中川さん
最初、期待値は全くなかったです。多くの大学生と一緒で大学の4年間だけ住む町って認識でしかなかったです。
当時、大学に近い場所の湖山に住んでいたんです。そこは、生活する最低限の物っていうのは大体揃う便利なところだし、バイト先の人もほとんど大学生なんで、大学生としか会わずに生活が完結できるんですよね。
大学生って、暮らし方によっては「大人」って大学教授と職員にしか会わないんです。そのくらい極端な暮らしの中で、当時オンラインコミュニティを見つけて、そこにたまたま飛び込んだんですね。
すると、鳥取のお菓子屋さんとか県庁で働いている人とか市役所の人とか銀行の人とかがメール上で地域のことをやり取りしてるんです。
鳥取のことを考えてる人ってこんなにいるんだと思いましたね。
そのやりとりが気づきになったんですね。
鳥取市での生活における、5年後や10年後の夢や目標はありますか?
中川さん
“鳥取の人たちがやりたいことを企画して始められる”みたいな仕組み作りを、これまでは主に学生対象にやってたんですが、今は若手の社会人とか県外の人たちでも鳥取に関われる機会を作り始めているんです。
「なにもないところでは無いだろ」っていうことを市全体で認識してもらうための準備を今してるので、5年後は「なにもないところ」じゃないことを共有したい。
まずは自分の子どもたちに「鳥取市は何も無いところじゃなくて、お父さんの周りの人は面白いことしてるね」ってまず認識してもらって、「自分でもちょっとやってみてもいいかな」と思ってもらいたい。
「あそこが何か変わった事やってる」とか「あの人たち楽しそうだね」ていう声をあげる対象を増やせたらいいと思います。
移住を考えている人へメッセージをお願いします。
中川さん
考えてるんだったら、一度来てもらったらいいんじゃないかな。
鳥取市はどんな人におすすめだと思いますか?
中川さん
鳥取県は日本一人口が少ないエリアなので、役割がすごいたくさんあるんですよね。
僕自身が大学生の時に考えた企画を「いいじゃんやってみなよ」って言ってもらえたのは余白がめちゃくちゃ多いからなんです。
『まちのリノベーションカンパニーまるにわ』も『福部となりのがっこう』を始められたのも、他にやっている人がいなかったからなんですね。
そういう意味では「自分だからこそできるかも」って事が見つかるんじゃないかと思います。その分いろいろ頼まれて大変になることもあるとは思うんですけど(笑)
基本はやりがいというか、役割がある・見つかる場所だと思うので、それを自分からやってみるには良いところだと思います。
ありがとうございました。