自分なりに真面目に働いていましたが、常に「故郷である用瀬で生活する意味って何だろう」と考えてたんですよ。
理美容と『グリーンツーリズム用瀬』の活動を融合させて地域を活性化したい
自分らしい“鳥取のやり方”で未来を拓いていく
Profile
出身は鳥取市
20代で移住を決意
1994年 大阪府から鳥取市へUターン
ぶっちゃけ話、聞いてみました! INTERVIEW
今のお仕事を教えてください。
鳥谷さん
『美容室 アトリエシャルム』の経営をしながら『NPO法人 グリーンツーリズムもちがせ』という団体で用瀬町屋住にある古民家『ゆいの宿 古民家長谷川邸』の運営をしています。
旅館業ですか?経営全般に携わっておられる?
鳥谷さん
そうですね。民宿の許可を取ってますので。そこで経営全般を任されております。
鳥取市に戻られたのはいつ頃ですか?
鳥谷さん
大阪で6年間理美容修行をして、平成6年にUターンしました。
専門学校に進学されて理容と美容の免許を取られたんですか?
鳥谷さん
鳥取の専門学校で理容師の国家資格を取って、大阪へ行ってから働きながら通信教育で美容師の国家資格も取りました。
Uターン当初は理美容一筋で頑張っておられた?
鳥谷さん
そうですね。用瀬で商売していた僕の父親が病気になったので、手助けしたいと思って鳥取に帰ってきました。理美容室を一生懸命やろうと思って。
お父様のご病気がきっかけだったんですね。
鳥谷さん
そうです。海外も視野に入れて大阪で頑張っていこうと思った矢先に父親の病気が発覚し、用瀬町にUターンすることになったので、Uターン当初は自分の中ではなかなかしっくりこなかったですね。
そうして、理美容以外でもこの地域に貢献できることってなんだろうって考えてるうちに、市町村合併で用瀬町が鳥取市になったんですね。用瀬町に町長がいなくなり議会がなくなり、いろんな意味で衰退していったわけです。用瀬町で商売していた人も元気を失っていきました。
でも、そんな状態でも用瀬には良い意味で“変人”が結構いたんです。
こうして「用瀬町に町長がいなくなり議会もなくなったわけだし、じゃあ自分たちでいろんな事を話し合ってやっていくしかないな」っていうことで『用瀬町遺産研究会』っていう会が立ち上がったわけです。
メンバーは、地元でNPOやいろんな活動をされている方の他に、Uターン、Iターンの方ももちろんおられて、そんな場所に僕も呼ばれたんです。平成20年から21年の頃です。
『用瀬町遺産研究会』は当時何人ぐらいだったんですか?
鳥谷さん
6、7人でしょうか。みなさんいろんな人脈を持っておられたので、何かやろうとしたらすぐに人が集まる状態だったんですね。その方達に紹介され、平成22年頃、今の古民家と出会うことになりました。
『グリーンツーリズム用瀬』の設立のきっかけになる古民家との出会いですね。
鳥谷さん
昭和11年に建てられたものなので古民家としては新しい部類のもので、空き家になっている状態でした。
当時、「リノベーション」っていう言葉もなく、「この古民家をなんとか再生する方法ない?」と聞かれ「僕は理美容師だから人前で髪切ったりするヘアショーをすることならできますよ」とお話したことがきっかけでこの古民家と関わるようになりました。
どんなテーマでやるかを考えた時、中山間地域にある古民家なのでその地域に住む元気なシニア世代をテーマにしたいと考えました。
ヘアショーは普通若いモデルが参加するイメージがあると思うんですが、その時僕は60歳以上の方に参加してもらえるように声をかけました。男女6人ぐらい。着物を着てもらって。
一階の仕切りを全て取り払ってショーをしました。当時そんなに広報も上手じゃなくて日本海新聞さんに取材していただいたくらいでした。
それがきっかけでイベントを開くことになり、30人くらい来たらいいかなと思って開いたんですけど、100人くらいお客さんが集まってくださって、入りきらないくらいだったんです。
ぎゅうぎゅう詰めで、立ち見のお客さんも多くおられました。自信に繋がりましたたね。
そこから民宿としてオープンすることに繋がっていくわけですね。
鳥谷さん
はい、当時『用瀬町遺産研究会』のメンバーの中から有志5人が発起人で『グリーンツーリズム用瀬』ができました。僕はそのメンバーの中で一番若かったので一番ヒマと勘違いされ、代表になることになりました(笑)
最初の10年は様々な助成金をいただきながらイベントを開催したり古民家を改修したりしていきました。2019年に民宿として『ゆいの宿 古民家長谷川邸』をオープンしました。
当初から古民家を利用したイベントの構想があったんですか?
鳥谷さん
イベント好きな方が多かったので、イベントをしながら古民家を再生・運用させたいと考えていました。
ただメンバーの中には集落の方もおられて、本音では再生したお家にどなたか移住していただいて人口増加に繋げたいという思いがありました。
でも人が住むには荒れ放題だったし、とにかく広すぎて1人、2人が住むのは不便な面があった。なのでまずは県外の方にこの古民家の魅力をアピールして、民宿として泊まってもらうことにしました。
メンバーの方は普段どんなお仕事をされていらっしゃるんですか?
鳥谷さん
建築関係の方や、地元でNPO法人を立ち上げて介護系の施設を運営されている方、自然体験塾を専門でやってらっしゃる方もいらっしゃいます…いろんな方がいますね。
大阪での暮らしと比べて変わったところは?
鳥谷さん
もう昔のことなんで大阪での暮らしぶりをあんまり覚えていないですが、仕事に関して言えば非常に厳しく余裕が全くなかったです。
朝のスタートは遅かったんですけど夜がほんと長くて。営業時間が終わってからが長いんですよ理美容って。今は働き方改革で随分スマートになってますけど。昔はそれが当たり前でした。
閉店後にミーティングやレッスンがあって、担当の仕事もこなしていたので夜の12時過ぎても家に帰れなかったですね。休みも月に何回あったかなって感じでした。
鳥取市でお仕事をはじめられた頃のことを教えてください。
鳥谷さん
鳥取市に帰って来たときは知り合いがほぼ0でしたから、理美容関係の友達を作ろうと思って競技会(コンテスト)に出場してました。5年くらい出ましたね。同じ業種の人と仲良くなって…ということに一生懸命取り組みました。
帰って来た当初は経営の事も一切考えていなかった。髪を切る技術を勉強したりコンテストに出ることに必死で取り組んでいました。この頃に結婚もしました。30歳のころです。それまで理美容一筋でした。
商工会青年部に所属していたこともあり、経済界のみなさんや市長、知事、政治家の方と知り合いになって、鳥取や用瀬の内情をうったえる機会を得ました。鳥取市と合併後、様々な業種の経営悪化が取り沙汰されたのもこの時期です。バブル崩壊の余波がやってきました。
バブルの崩壊はお店の経営の方にも影響がありましたか?
鳥谷さん
将来の経営がちょっと怪しいなと感じ出しました。人口も減っていくし、景気も良くないから髪を切るお金を節約する人も出てくるだろうし。その時期から経済・ビジネスの本を読み漁りました。
その時、小阪裕司さんが主催する『ワクワク系マーケティング実践会』に参加したことがとてもいい出会いになりました。
全国に1,600社の会員数を誇る商売人の集まりで、会員のみなさんは決して大都会で商売を成功させている人ばかりではなく、人口が3,000〜4,000人ぐらいの地方でも立派に商売を成功させている方たちの集まりだったんですね。
みなさんの話や手法を勉強してる内に「この用瀬でも商売やれるのかな」「逆に用瀬だからやれる事って何なんだろうな?」って考えるようになったんですよ。
全国理容連合会が主宰する『メッセージ大会』という、競技大会(スピーチコンテスト)があります。
自分が日々やっている経営に関することやこの職業で感じたことを、5分間のメッセージにして発表する大会です。
2007年に鳥取県代表に選ばれて、中国大会で勝利し、ついには決勝の舞台に上がって優勝しました。それが自分のターニングポイントですね。
そこで発表したのが『ワクワク系マーケティング実践会』で学んだこと。
“理美容の枠に囚われず、髪を切らなくても、行くだけで楽しい理美容室”を作る取組を発表して優勝しました。全国的に認められて大きな自信になりました。
その後に、古民家と出会う事になって、変な自信がついた僕は「何とかやれる」と思ったんですね。こんな田舎にある店でもそこそこやれるし、やってきたことも全国的にもなんとなく認められたし、ひょっとしたらこれもできるんじゃないかなって思って始めたのがきっかけです。
古民家で印象的だったイベントを教えてください。
鳥谷さん
『きつねの嫁入り』というイベントをやりました。古民家を結婚式の場としても使いたいなって思ったんです。実際に結婚式を挙げたカップルもおられたので、それを宣伝したかったんですね。
でも、普通のブライダルイベントじゃ集客も難しい。そこで狐の昔話や伝承を拡大解釈して、みんなで狐に扮するメイクとヘアのショーを企画しました。
モデルさんを6人用意して、狐メイクで実際の花嫁衣装を着てもらいました。夜になったら提灯行列で段々畑を歩いてもらって古民家に入ってもらいます。美容師も全員メイクを施し、みんなで狐のお化けになってからヘアーを作るイベントです。
幼少期の鳥取・用瀬と移住後の鳥取・用瀬とでは印象は違いますか?
鳥谷さん
たぶん、僕を含めて、用瀬や鳥取の人って大して地元のことを知らないんですよ。それで鳥取県外に出てみて初めてわかったりすることがあったり、外の人を迎え入れた時にその人から聞ける言葉に気づかされることがあると思います。
そこで初めてわかるんです。僕は用瀬で生まれて今こうして関わっていますが、多くの人は「嫌な場所では無いけど、何もないところ」と言います。なにも無いことはない。
気づかないだけだと思います。
Uターンされて良かったと感じますか?
鳥谷さん
もちろんもちろん。僕、都会の暮らしはダメだと思うなぁ。人が多かったり、時間の流れが早いじゃないですか。6年間の修行時代も慣れなかったですね。
コロナになってから人数制限かけて商売していると、1人に対して時間がすごくかけられるんです。大阪でやってる頃はとにかく人数をこなして無駄な時間を省いて省いてって感じで…鳥取でのやり方が僕には合っていると思います。
鳥取市での5年後、10年後の夢はありますか?
鳥谷さん
本当にやりたいことを限られた時間でみなさんとどうやって運営していくのかですね。歳をとったらやりたくないことはやりたくないけど、特に若いときにはそれも必要だと思うんですよ。
いろいろチャレンジしてみて、これはダメ、これは良いっていうのが当然ある。やりたくない事をやってみたら意外と良かったって事あると思うんですよ。そういうのを経験するのはプラスになると思う。
だけど、やっぱり年配になってきたら、やりたいこと・やりたい仕事・好きな人と好きな時間を共有したいし、仲間にもやりたいことだけさせてあげたい。儲かることをさせてあげたいです。『グリーンツーリズムもちがせ』についてはそういった感じでやっていきたいです。
理美容のことも見直したいと思ってます。
あともう1つはラオスに店を出したいです。ラオスはコロナになる前までは毎年ずっと行ってたんです。ビューティーボランティアでラオスの理美容師さんに日本の技術を教えたり、施設の子どもたちのカットもしていた。これはずっと続けて行きたいですね。
これも古民家でたくさんの海外の方と関わるうちに「言葉が違えど人間って考えることに大差はないな」と気づけたのも大きかったと思います。
これから移住を考えている方にメッセージをお願いします。
鳥谷さん
まずはきっかけを作って、たくさんの鳥取の方と出会って欲しいですね。鳥取の人は本当に良い人が多いです!優しいんですよ。この優しさは鳥取県民の武器になるのかなって思います。
ただ鳥取県民はシャイですから、最初はとっつきにくいかもしれませんけど、距離が縮めば本当に良くしてくれると思いますよ。
ありがとうございました。