2020年に東京から移住山川良子さん

安定した生活から飛び出して地域おこし協力隊に。
真剣に考えてくれた言葉で鳥取市を選び、自分らしく活動

Profile

出身は京都府
40代で移住を決意
2020年 東京都から鳥取市へIターン

ぶっちゃけ話、聞いてみました! INTERVIEW

Q

ご出身はどちらですか?

Q

山川さん

京都です。高校を卒業するまでは京都にいて、大学からは東京に出て卒業後に東京で就職しました。1996年に入社した出版社に19年間勤めていて、秘書をやったり、農山村再生や地方創生の企画を担当したりしていました。

当時から地域おこし協力隊や田園回帰については自分が担当した本の中で知っていたんですが、自分が東京にいるのに東京に人が多すぎることを批判している矛盾を感じて、もやもやしていたんですよね。

40代の時に会社が早期退職制度を募集して、「これもひとつのきっかけかな」と思って色々な場所を探し始めました。

場所にはこだわらず地域おこし協力隊に応募されたんですね。

Q

山川さん

全国色々な地域おこし協力隊に応募したんですけど、全然受からなくて。理由はハッキリしてて、準備が足りなかったんです。

その時まで早期希望退職で仕事を辞めるとは全然思ってなくて。

ある日突然ですか!?

Q

山川さん

3月に入ってから正式な早期希望退職の募集があって、3月末には退社しました。

かなり急なスケジュールでしたね

Q

山川さん

そうなんです(笑)
先のことを全く考えずに辞めてしまって。どうしようかなぁ、東京を離れてもいいのかな、と考えて。そこから地域おこし協力隊で頑張ってみようかなぁって思って受験してたんですけど、当時大体の地域が40歳までとか、年齢制限がありました。その時45歳だったので受けられるところが少なかったんです。「あと10年若かったら来てもらうんだけどなぁ」とか言われながら。

もう一つ大変だったのは、自動車の運転免許を持ってなかったんです。面接で「免許はこれから取ります!」といっても「取れるかわからないでしょ」と返されたり(笑)

自分としてはすごく素直に「どこでもお役に立てれば頑張りますよ」と心から思って言っていたんですけど、面接の時に「この地域のこれが好きだからやってみたいです」って言えなかったんですよね。勉強不足で。相手からしたら「何でもやりますって言ってるけど、この人別にここに来たいわけじゃないよね」って思われちゃいますよね(笑)

受け入れ地域としては本人のこだわりが重要だったと。

Q

山川さん

就職の面接と一緒だと思うんですけど「この理由でここに来たいんです」っていうものがなかったこと。免許がなかったこと、それと年齢。これは明らかに準備不足だと思ったので、その時は、地方に行くのは諦めてもう一回就職し直して、休みの日を使って色んなところを旅して「ここがいい!」と思ったところを見つけよう、という方針に転換しました。

ご自身が「ここだ!」と思う場所探しが始まったわけですね。

Q

山川さん

そのあといくつかフリーターのような形で出版社や新聞社などに勤めながら、週末は栃木や新潟などに行ってみて、地方の過疎地と言われているところが、本当に色んな工夫をされていることを知ったんです。昔ながらのものを大事にしている地域を「いいなぁ」と思うようになりました。そういう時期が2年間くらいありました。

その後、出版社時代に知り合った鳥取出身のエッセイストの方と関わる機会があったんです。その方が鳥取に帰省した時にいつも友人たちと集まっておられたんですね。その友人のなかに西郷地区の方がいらっしゃって、「東京から地方に行きたいっていう人がいて、でも行けるところがないみたいなんだよね~」という話をされた時に「じゃあ西郷来ればええが!」と言われたそうで、その話をしてもらったことがきっかけで西郷に遊びに来ました。

Q

初めての西郷はどうでしたか?

Q

山川さん

すごくいいところだなと思いました。でも一方で、自分が食べていく手段がないなと思いました。オンラインで仕事を持ってくるにしても2、3年は準備に時間がかかるかなと思っていました。なので、その間に何度か西郷に足を運んで、環境を知ったり人を紹介してもらったりして、準備が整ったら移住しようと思ってたんです。

その矢先、西郷地区で地域おこし協力隊募集の話があることを聞いたんです。もうご縁としか言いようがないなと思いました。ありがたいことに年齢制限もなかったので、頑張って免許も取って。来た当初は初心者マークをつけてブイブイ言わせてました(笑)

Q

実際にこちらに来られたのは?

Q

山川さん

2020年の2月の着任ですね。

Q

活動内容を教えてください。

Q

山川さん

『いなば西郷むらづくり協議会』や『いなば西郷工芸の郷』のお手伝いをしています。

イベントがあったら運営を手伝ったり情報発信をサポートしたり。ここはとても元気で熱心な地域で、月に何回かはイベントがあるので「すごいなあ」と思いながら過ごしています。

今、『いなば西郷むらづくり協議会』では西郷の部落史をまとめるということも始めています。

前職の経験も活きそうですね!

Q

山川さん

来てすぐに「10年のあゆみ」という冊子をまとめさせていただいて、今まで『いなば西郷むらづくり協議会』が何をしてきたかという点についてもすごく勉強になりました。

すごいなと思ったのは起ち上げの時に、村の今後に対する全住民アンケートを取っておられたんですけど、それが10歳以上の住民全員が対象だったんですね。そのアンケートの回収率が8割を超えていて、色んな意見が出ていました。それを元に『いなば西郷むらづくり協議会』がどのような活動をするか決めたらしいです。その中で窯元を使って地域おこしをっていう意見とかも出てきた。

そんな時、2013年に前田昭博さんが人間国宝になられて、1,000人ちょっとしかいない村から人間国宝が出てもう大騒ぎだったそうなんです。鳥取在住の方で初の人間国宝らしいんですよ。前田さんはずっと「西郷はこれだけ窯元が多い場所。だから工芸の道を応援できる場所であれたら嬉しい」という思いを持たれていたんです。「それはやるしかない!」とみんな張り切って、移住してくる工芸作家さんを応援しようというムードになったんだそうですよ。

それで『いなば西郷むらづくり協議会』の文化部を母体にして『一般社団法人西郷工芸の郷あまんじゃく』を起ち上げて、ワークショップや移住作家の募集、フォーラムを開いたりと活動を始められました。

そして、2021年の12月4日に「ギャラリー&カフェ okudan」をオープンすることができました。

ではそちらのお手伝いとかもされるんですか?

Q

山川さん

そうですね。ギャラリーの方で窯元のご説明をさせていただいています。

Q

移住前に全国色々調べていらっしゃったなかで、西郷の村に感じた魅力は何だったんですか?

Q

山川さん

不思議なことに、閉塞感を感じなかったんですよ。

一回移住前に来た時に「女性が元気だな」と思ったんです。地域によっては同じテーブルに女性はつかないっていう昔ながらの風習が残っているところもあったんですが、西郷は女性が明るくて元気だったことが他よりも魅力に感じましたね。

西郷という村は地理的にどん詰まりの地区なので、どこか行くためにここを通ることはまずないし、ここに来ようと思わない限り人は来ない。条件的に最初に過疎化が進む場所でもあるし、河原町の中では一番過疎化が進んでいるんです。けど、「自分たちで何とかしていかなきゃいけない」という意識を皆さんが持たれていると感じます。だからこそ、イベントをするときにも「自分は何すればいい?」と主体的に受け止めてくださる方が多いように思います。

Q

移住するにあたって、住まいや生活面についてご相談されたりしましたか?

Q

山川さん

とにかく住んでみようということで、最初は『ゲストハウスよりしろ』というところに住んでいました。東京にいる間は知らなかった色々な部落の作法などは、受け入れ団体の代表が部落長に挨拶に行ってくれて、部落長さんが親切にメモをくださったりして助かりました。

Q

移住後に生活面での変化はありましたか?

Q

山川さん

東京では極端な話、終電まで仕事をしてバタバタと会社を出て、土日も出勤して...という生活だったのですが、今は全然違いますね。「土の近くに生きているな」という感じがします。草刈りとか雪かきとかへっぴり腰なんですが、体を動かさないと生きていけないので、大変だけど「本当の暮らしってこういうものなんじゃないかな」と思う部分もあって、豊かさとか楽しさとかいう概念が変わってきてると思います。

便利であればあるほど失ってしまうものがあって、そういうものを失わずにいてくれている鳥取の地域性はもっと見直されてもいいと思います。

ある研究者の方が中国地方のことを「周回遅れのトップランナー」と言ってらっしゃって。周回遅れだけどそれ故に失わずに済んだことが、実は大切なことだったんじゃないかと思います。都心部から離れているからこそ守られてきたことがあって、暮らしをきちんとしていくということは頭も体も使ってやることなんだなぁと思います。ただそうはいっても、除雪機は欲しいですね(笑)

頭と体を使って生きることは、どの地方でも大事な考え方かもしれないですね。

Q

山川さん

地域の中が活性化できるかどうかは、外から何人入るか、人数が減る減らないとかじゃなくて、まずは内側にいる思いのある人を掬い取ることが大事。協力隊としてできることは、そういう埋もれている声を掘り出して伝えることが役目だと思っています。

地域に住む親が子どもたちに「ここには帰って来んでええ」と言うんじゃなくて「ここに戻ってきたらいいよ」と言える環境を作りたいですね。

Q

移住にあたって苦労したことはありましたか?

Q

山川さん

どうでしょう。どんな引っ越しも同じじゃないかな。基本的にはすごくオープンマインドで受け入れてもらって楽しく過ごしているんです。

協力隊を受ける前に最初に西郷を訪れた時に、鳥取県のふるさと鳥取県定住機構に顔を出したんですが、その時にすごく厳しいことを言っていただいたのが、とても印象的だったんです。働き口について、「何でもします!」と言ったら「何でもするって言って何でもする人なんていた試しがないんです!」と言っていただいて。その通りなんですよね。私自身は厳しいことを言っていただいたので、逆に鳥取の皆さんには信頼感が生まれましたね。

自分の考え方を見つめ直すきっかけになったんですね。

Q

山川さん

そうなんです。協力隊で来た当時も、中には「僕は反対です」と仰る方がいました。「彼女は今東京で食べれているのに、3年経って任期が終わった時に私たちで養っていけるんですか?彼女の人生はどうなるんですか!」と言っていただいたんです。一人の人間が半分賭けのような状態で来ることに対しての重みをすごく考えてくださっているんだなあと。そういう風に思ってくださる方がいらっしゃるんだったら何とかやっていけるんじゃないかと思った瞬間でした。

いい話だけじゃなく、厳しいことをちゃんと厳しく伝えてもらえたことが、鳥取に来るときの信頼感や安心感に繋がったような気がします。

赤の他人にそこまで言ってくれる方もなかなかいない気がします。

Q

山川さん

だから鳥取県のふるさと鳥取県定住機構は今でも移住希望の方にオススメしているんです。すごく真剣に考えてくれるから。

Q

今、協力隊3年目ですが、西郷に来て良かったと思いますか?

Q

山川さん

良かったと思います!

朝靄の中から村が現れる瞬間とか、快晴で山の稜線が青空の中でくっきりと見える瞬間、来てよかったと感じますね。毎日のお手伝いとかも楽しませてもらっていて、地域の方に食材とかももらったりして。この頃は私が料理下手なのがバレて材料じゃなくて作ったお料理をもらったりもしてます(笑)

楽しさって比べるものではないので、東京は東京で住んでいたら楽しんでいただろうと思いますが、田舎ではそれとは違うやり方があるなと思います。今は体も動かしているし、土の近くに生きていることのありがたみみたいなものを感じます。

大変だって思うことももちろんたくさんありますけど、私みたいな「来る側」より「受け入れる側」の方が大変だっただろうなと思うんですよね。どこの馬の骨ともわからない人間がいきなり集落に入って来たのに、見守って受け入れて声をかけてくださるので、それ自体がありがたいし楽しいですね。

Q

鳥取市での今後の目標・夢は?

Q

山川さん

西郷を売り込んで売り込んでっていうものでもないような気がしてて、感じてもらうことが大切って思います。この新しくできたカフェも「ちょっと長居しすぎちゃった」って帰られる方が多いんです。そういう風に西郷に流れる時間や空間を感じてくださる場所であってほしいと思います。そして西郷全体をそういう場所として認識していただけるようにできることはないかなと思っています。同時にどうやって自分が食べていくかというのはずっと頭を悩ませていて、それはいつも離れないですね(笑)

Q

鳥取市に移住を検討されている方にメッセージをお願いします!

Q

山川さん

人生一度きりなので、自分がおもしろいな、楽しいなと思う方を選んでいただけたらいいと思います。そこに鳥取市という選択肢もありますよというのは伝えたいですね。

自分の気持ちの進む方向に進む人が増えたら、色んな事が変わってくる気がするので。

全部比較して条件のいいところっていうのは違う気がしてて、私自身もご縁があってのことなので、他の移住者の皆さんもそうなんじゃないかと思います。

ぜひご縁があったら鳥取でお会いしましょう!


ありがとうございました。

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