兵庫県から移住吉田裕志さん

次世代を担う子どもたちのために面白いこと、楽しいことを常に発信していきたい。

Profile

出身は鳥取市
30代でUターンを決意

ぶっちゃけ話、聞いてみました! INTERVIEW

Q

ご出身は?

Q

吉田さん

鳥取市吉岡温泉町です。

Q

移住前はどちらでお仕事をされていましたか?

Q

吉田さん

兵庫県湯村の旅館で働いてました。

僕は喫茶店を営業しているんですけど、もともと吉岡温泉の「あづまや旅館」が実家なんです。旅館の息子だからといって跡を継げとか言われたことはなかったんですけど、「いつかは自分が旅館を継がないとダメなのかな」とずっと思ってました。

旅館が実家っていうのもあって、学生時代は料理の専門学校に進学して日本料理を専攻しました。

Q

湯村温泉には跡を継ぐための修行で行かれたんですか?

Q

吉田さん

まぁそうです。実家の旅館で親がしていることを真似るだけでは発展もないから、他の場所でも働いて新しいものを取り入れて活かせるところは活かそうと考えました。

湯村で働いたあともすぐに実家には帰らず、いろいろな鳥取のお店で修行して、経験を積んで実家を継ごうと思っていました。

Q

さまざまな修行をされた後、パーラー株湯に行きついたきっかけは?

Q

吉田さん

実家は家族経営の旅館で、土日は忙しいけど平日が割と余裕があって空いていたので「このまま旅館をやってて大丈夫かな」と不安に思って、はじめは実家に帰ったら外から学んだことを使って「ちょっと旅館を大きくできればいいな」っていう思いがありました。

Q

実家の旅館に戻ってこられたのは何歳の時ですか?

Q

吉田さん

32歳くらいですね。地元に戻って参加したお祭りが、自分が子どものころは賑やかだったのに、めちゃくちゃ寂しくなってたんです。

地元に自分と同世代の人もいなくて、年配のおじいちゃんおばあちゃんが残ってお祭りしているのを見て「寂しいな…」って思った。

僕はそのとき既に子どもがいたので「この子が成長したら、地元・吉岡温泉が面白くないと思って出ていくだろうな」って思ったんです。それをなんとか食い止めたかった。

僕たちが子どもの頃のような、面白かった思い出みたいなものを子どもたちも作れたら…吉岡で商売するまでいかなくても、鳥取に残って仕事してくれるかもしれない。若い子が残らないと街って成り立っていけないなって思ったんです。

それで、まずは「楽しい思い出を残す」ことからできないかなと思って。自分の子どもや同級生の知り合いの子も巻き込みながら、“お祭りごと”ができないかな…と考えたんです。

Q

お祭りごととは具体的にはどんなことを?

Q

吉田さん

もともと商店だった空き店舗をお借りして、お祭りの時だけ出店をしてみることにしました。

そんな活動をSNSで発信していたところ、協力してくれる方が増えて、最初は出店だったところが『ヒイラギカフェ』っていうお店をオープンするまでになりました。これがパーラー株湯の前身です。

『ヒイラギカフェ』は出店で人気があった『あづまやさんのプリン』を売ることがメインの気軽なものでした。でもいざやりだすと思った以上に知名度が上がってしまった(笑)

あづまや旅館でもプリンは売ってたんですが、お客さんからしたらプリンを買うためだけに旅館の暖簾(のれん)ってくぐりにくいじゃないですか。

じゃあ、どうせならカフェベースのお店を作ってプリンを買うついでに珈琲も提供しようと思って始まって、それが広がっていった感じです。

とにかく最初は「地元でもちょっと面白いことできるで」って示したかったんです。

ご自身から「こんな楽しいこともできるぞ」とアクションを起こされたんですね。

Q

吉田さん

遊び心がある大人や面白いものがないと、人は寄ってこないですよね。古い旅館を回して「人が来ないぞ、やばいやばい」と手をこまねいても、誰も来てくれないじゃないですか。

例えば僕が「旅館の売り上げがやばいぞやばいぞ」って騒ぐ姿を息子が見たら、絶対旅館なんか継ぐわけないし、重荷でしかない。

旅館はとりあえずは残すこと前提で、ほかに面白いことできないかなと考えていました。

Q

そういった紆余曲折があって今のお店をすることになったんですね。

Q

吉田さん

そうですそうです!

Q

パーラー株湯の開店の経緯は?

Q

吉田さん

『ヒイラギカフェ』は、同級生の子にアルバイトをお願いしてやってたんですけど、広いお店ではなかったし、売り上げも思うようには上がらなかった。

いろいろあって場所を移す必要が出てきた。『ヒイラギカフェ』自体はそのころ知名度が出てきていたし、銀行から借りたお金で空き家を購入することにしました。

その空き家が、今のお店『パーラー株湯』です。

内装でも結構費用がかかりそうですよね…

Q

吉田さん

借り入れして購入したところまでは良かったんですけど、お店を改装するお金がない!これやばい!ってなりました。

一応ここは個人事業ではなくて、地元を盛り上げたい人を巻きこんで起ち上げた『コナン金ちゃんファミリー』っていう街づくり団体として運営を始めたんです。

費用をどう捻出するのか…スタッフとも相談し、何か行政の助成金はないかと調べて、補助金を使わせてもらって内装費までは面倒をみてもらえるようになりました。

Q

お店をしてて良かったなと思ったことは?

Q

吉田さん

パーラー株湯があるから吉岡温泉に来たと言ってくださる方も多いんです。受け皿というか…窓口と捉えてくれているお客さんがおられるんですね。

お店を続けてたら活動を見てくれてる人もいるなって感じます。地域活性化活動ですね。

地元の方と楽しむ小さなイベントとして「年越しそバー」を必ずやるようにしています。それは外から来るお客さんより近所の方に楽しんでもらうためにやっています。

みんなで蕎麦を食べて、行ける人みんなで近所の神社に初詣に行きます。この時ばかりは子どもたちも大人に混じって蕎麦を食べたり、帰省してきた同級生が蕎麦を食べに来てくれたりします。

パーラー株湯でできる範囲は今やっていることが限界かな。次は何が必要かとなると仲間が必要だと思います。

この地域をもっと盛り上げるために、この地域に住んでもらいたいのはもちろんですが、ぜひ商売をして欲しいんですね。最近できた仲間では、この店の裏にパン屋さんとコーヒー屋さんが移住されました!

今後の目標としては、一緒に頑張る仲間を増やすことでしょうか?

Q

吉田さん

本当は...地元吉岡温泉町出身の人や湖南地区の人が集まってやっていくのが1番いいなと思ってて、『コナン金ちゃんファミリー』を築いたんです。

でも、よくよく考えたら地元の人ができてなかったから今こういう街並みになっている。吉岡をよく知らない人の方が吉岡の魅力に気づいてくれるし発信してくれる。

それなら、外の人を入れて町全体を変えていった方が手っ取り早いかなと思うようになりました。

お話を伺っていると、常に『どんな面白いことをするか』を考えられているように感じます。

Q

吉田さん

僕は子どもから学ぶことが多々あります。子どもの動きを見ていたら「なんでそんなところ登る?!」「なんでそんな不安定なところで遊ぶ?!」みたいなシーンがよくある(笑)

子どもはそのギリギリのスリルを楽しんでいる。そこの感情がけっこう大切だなと思っているんです。“人がやらないことに視点を置く”ことが大事だなと思います。

Q

地元に戻ってくる前と後で、ご自身に変化はありましたか?

Q

吉田さん

昔と今とでは、自分の考え方も変わってきたし、見方も変わってきました。

何かを始めるとプラスの部分とマイナスの部分が必ず出てくる。

最初は「自分が仲間や地元の人の考え方を変えてやろう!意識を変えてやろう!」っていう自分本位な気持ちでした。

今は「自分が楽しんで色々やっているところを見せるだけでいいんじゃないかな」って考え方に変わりました。

Q

移住を検討されている方にアドバイスをお願いします。

Q

吉田さん

そうですね。まぁ正直どこ行っても良いところも悪いところもあります。

鳥取市の良いところは自然もいいし食も美味しいし、田舎暮らしするには全国的には上位に入るところだと思っています。楽しみ方を自分で見つけられたら良いんじゃないかな。

「鳥取だからできない」じゃなくて、「どう楽しんで頑張るか」を考えて欲しいですね。鳥取ならではのことは全部楽しんで欲しいです。

ただ交通の便が悪いのがちょっと(笑)

雪も大変かな。


ありがとうございました。

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